色彩とマチエールが生むもの/(株)アクエリアス・角聖子音楽院・角聖子・松田靜心・アート・デザイン・ピアノ・音楽プロデュース

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色彩とマチエールが生むもの

 ■松田靜心氏の回顧的な個展が、2014年、ギャラリースペースSTORE FRONT(東京)で開催されました。展示されていた作品はバラエティに富んでいて、およそ一人のアーティストによるものとは思えないほどでした。25年以上に及ぶ制作活動の中で、松田氏は何故これほどまでに作風を変化させてきたのか、その経緯についてお話を伺ってみました。

高石: 「アートに興味を持ったきっかけは何だったのですか?」

松田: 「子供の頃から絵を描くことと、モノを作ることが大好きで、生家の壁は落書きだらけでした。物心ついた頃には、将来は絵描きになりたいと思っていたのです。生きる苦悩や悲劇を経験しそれを乗り越えた上で、生まれてきた喜びや生きることの素晴らしさを表現できたら、なんて本気で考えていました。」


高石: 「現在のような制作活動はどういう経緯で始められたのでしょうか?」

松田: 「大学では一旦理系に進んだものの中退して上京、様々な仕事を転々とした後、日本の現代音楽やクラシック音楽を専門とするレコード会社に就職しました。制作進行や営業と共にレコードジャケットの外注窓口などを担当していて、ある時、絵のセンスをかわれ、専属デザイナーとしてデザイン全般をほぼ任されるようになりましたが、会社のデザイン制作だけでは満足できなくなり、30歳になったのを機に独立し、後にグラフィックデザインの会社を興しました。
でも結局は、自身の本質を表現したいという衝動には抗えず、本格的に絵画制作に打ち込むようになりました。」


高石: 「その頃は、静物や風景といった具象画と共に、抽象画も並行して描いていたそうですね。」

松田: 「1990年の初個展の際には、ギャラリースペースを2分割して、具象画も抽象画も両方一緒に発表しました。その時に抽象画に対する評価がより高かったことから方向性を確信したのです。その個展を機に抽象表現を探求することになりました。」

高石: 「1993年頃からは、油彩だけでなく、銅版画によるモノタイプの作品も制作なさっていますね。これらの作品には、『垣間みた違和感』や、『十三階の雨もり』といった詩的なタイトルを付けているところが興味深いのですが。」

松田: 「もともと詩にも強い関心があったのです。大学時代には同人誌を発行していましたから、絵と言葉の融合を試みて、現代詩から、シュルレアリスム的に無作為に引用したフレーズをタイトルにしていました。」

高石: 「1994年頃からは、さまざまなミクストメディアの作品を制作していますね。」

松田: 「不要になった家具やドア、パーティションや障子の枠などを拾い集めてそれらを支持体にして描く作品や、箸やしゃもじ、スプーンなどを絵筆の代わりにして描く作品を制作し始めました。キャンバスに油彩という従来の技法や画材にとらわれずに、絵画の本質、あるいは新たな価値観を探ってみたかったのだと思います。同時に、不要な物を別次元のモノとして甦らせたいとも思っていました。制作のプロセスも作業も創造的で楽しかったですね。」

高石: 「さらに、毛筆を用いたカリグラフィックな作品や、展示空間全体を意識したインスタレーション、ドリッピング技法などを展開していきましたね。1996年と1999年には、ライブの演奏中に絵を仕上げるライブペインティングを行ったのも、新しい表現の探求の一環なのでしょうか?」

松田: 「そうですね、その頃は描画方法と展示空間も強く意識していました。特に音楽の生演奏は、絵画制作とは違って演奏が終わると同時に消えてしまいます。その一瞬の中、儚さの中の美しさに人生そのものを見る思いがして、それを表現するためのライブペインティングでした。特に音楽(歌詞のないもの)は人間の本能に直接的に届くのだと思っています。また、音楽や現代詩の他、舞踏など、他のジャンルとのコラボレーションも多く行いました。自分の作品を、視覚だけではなく五感を総動員して多角的に感じてもらえたらと思っていましたから。」

高石: 「扇形のキャンバスに描いた作品も登場しますが、このスタイルが生まれたのはこの頃のライブペインティングがきっかけだったそうですね。」

松田: 「そうです。また、図形的なモチーフが現れてきたのもこの時期で、作品に目を留めた方からの依頼で、その頃グランドオープンを迎えた成田空港第1ターミナル内のレストランの壁画を制作しました。ちょうど1999年のことで、世紀の変わり目の作品となりました。が、2014年に閉店してしまい、その壁画はもう残っていないのが非常に残念です。
振り返れば、その後、2006年までの6年間は作品の発表をしませんでした。より深く自分を知りたいという思いが強くなり、本質を捉えようともがきながら、自分の内部から表現の意欲が湧きあがるのを待っていた時期だったのかもしれません。」

高石: 「そして、構想を温め続けた後2006年に発表された時には、キャンバスにシンプルな色面構成した作品でしたね。色の追求に焦点を絞ったと考えていいのでしょうか?」

松田: 「はい、色はとても重要な要素だと再認識しました。
ちょうどその時期、郷里の鹿児島に帰省する機会があり、旧知の陶芸家が釉薬に桜島の火山灰を使っているとの話を聞いた時、学生の頃、油絵具に大量の煙草の灰を混ぜて発色が良くなったことを思い出しました。また、桜島の火山灰を原料にしたクレンジングクリームが肌をツルツルにするという話も聞き、これは下地に使えるかもしれないとひらめきました。」

高石: 「通常は、下地にはジェッソを使うのですよね?」

松田: 「ええ。そうなんですが、私はジェッソを塗ってから描くと、色が沈んでしまう気がしていたのです。そんな矢先に聞いた話でした。実際に、火山灰を混ぜた黒い絵の具を下地にして、その上に重ねた色は、想像以上に自分にしっくりくる色になりました。明るい色はより明るく鮮やかに、渋い色はより渋く、それぞれの色の特性を生かしつつ、深みを増してくれる素材だと確信したのです。」

高石: 「最終的に全体を明るい色調に仕上げる場合でも、下地にその火山灰を混ぜた黒い絵の具を塗るのですか?」

松田: 「そうです。下地を真っ黒にしてから描き始めます。」

高石: 「発色の効果もさることながら、光の無い真っ黒な世界から描き始めることは、心理的にも重要なプロセスなのかもしれませんね。それと、生まれ故郷のアイデンティを取り入れているということも意識されているのでしょうか?」

松田: 「宇宙の始まりが暗黒で、そこに光が生まれ世界が照らされて全てが始まったとすれば、それと似たプロセスかもしれません。故郷のものでもありますし、地球内部の物質でもある桜島の火山灰を使うことは、地球そのものの生のエネルギーを画面に定着させているとも思っています。マテリアルとしても砂とは違う、マットでザラザラした独特のマチエール、テクスチャーが生まれるところに火山灰の魅力を感じています。」


■松田氏は、同時に日本人であることも強く意識し始め、胡粉や水干・箔等といった日本画の画材も取り入れ、新たなフェイズへ移っていきました。
紆余曲折を経て、様々に作品スタイルを展開してきた中で、特筆すべきは、こうした色彩の本質とマチエールの追求、更に言えば生命そのものに言及する取り組みとも言えるかもしれません。


■作品制作について松田氏はこう語っています。
松田:「作品を創り続けることが自分の生きている証ですし、自分自身の精神性と成長のためにも、作品を創らずにはいられない、なくてはならないものです。
生きるということは思考や環境の変化が伴うわけで、作品の変容は必然とも言えるわけです。
そして、もし地球上にたった一人でも私の作品が心に響いて、癒しや安らぎ、希望や推進力、何らかの形でその人の生活や人生に役立ってくれるならどれだけ喜ばしいことかと思いますし、それこそが私の追求する芸術本来の意味ではないかと思っています。」


■松田氏は、2015年から2017年にかけて新築を中心に10数棟の介護付有料老人ホームに作品を設置する依頼を受け、各ホームごとのコンセプトに合わせた作品を描いているそうです。抽象画だけでなく植物や果物などをモチーフにした絵画もかなり久しぶりに描いているという松田氏は次のように語っています。
松田:「このプロジェクトのおかげで様々な再認識と気づきがあって、これまで考え続けてきた絵画・芸術・アートの意味、存在意義が、思考の整理と共に、社会の中で実践しつつあるように感じています。作業はハードですが、とても有意義な経験をしていると実感しています。」


■2017年は銀座の『ギャラリー58』で10年連続10回目となる節目の年。どのような新しい展開を見せてくれるのでしょうか。
作風がいかに変容しようとも、そこには常に松田氏の色彩とマチエールによる、独創的でより深化した独自の表現が広がっていることでしょう。


インタビュー・構成
アート・ライター 高石由美

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