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松田靜心と彼の描くもの

 松田靜心さんと初めて会ったのはいつのことか。確かワインを飲みつつ歓談するという会だったと思う。上等のお酒の効果に加えて、松田さんが私の愛する鹿児島の出身ということも判明し、意気投合した。その後も幾度となく会っては楽しくお酒を飲み、何やら話し込むという付き合いが、今日まで続いている(話している内容はおそらくとても深遠なのだが、お酒の魔力のせいで全然覚えていないのが残念でならない)。
 最初、靜心というのは芸名というか、「号」だと思っていた。松田さんの穏やかな性格、話しぶり、それから彼の作品を見て最初に感じることと、あまりにマッチしていたからである。静かな心。しかし、それは本名だという。名前が人を作るのか、と思っていたら、元々は理工系だったということで、迂回した結果、名は体を − もとい、作品世界を表す、と相成ったようだ。

 松田靜心の作品世界を、どう形容するべきなのだろう。言葉の正しい意味での抽象画、だろうか。
 私たちは風景であれ静物であれ、この世に現に存在する物の連なりを見て美しいと感じる。そう感じた一瞬を筆の動きで平面に固定する試みが絵画ということになるのだが、実は感動の源泉は私たちが見ていた対象そのものではなしに、そこに潜む形態の対称、非対称、あるいは色彩や明暗の調和とグラデーションといった、数学的ともいえる秩序だ。ヨーロッパの絵画史における具象から抽象への推移は、その事実の発見過程に他ならない。
 松田さんが描くのは、私たちが目の前に現れた事物を見て美しいと感じた、その心の作用なのだ。穏やかな日の砂漠や広大な針葉樹林の宵闇を見て、人は胸を打たれる。同時に、人は心電図や壁に浮き出た染みに風景や人の顔を読み取り、そこにおかしみ、不気味さ、あるいは美を感じる。松田作品が具体的な何物をも描いていないのに、強烈な懐かしさを感じさせるのは、それが美を感じる私たちの心そのものをキャンバスに固定しているからなのだ。

作家・翻訳家
徳川家広

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