COLUMN

松田靜心の空

松田靜心の絵の中に「そら」がある。画面の95%以上を占めると思われる広々とした空が・・・・・。すくなくとも、わたしの観ることができた最近の作品ではそうだ。
 漢字の「空」は、「から」と読ませれば、何もない空っぽの意であるが、「くう」ならば、般若心経では「空不異色・・・・色即是空」であって、「空」は「色」即ち現前する森羅万象の、絶え間なく変幻する無常の場ということになる。

 更に、「場」を「間」と同列に置いて「空」にくっ付ければ、それは「空間」。英語なら「space」であって、悠久の時間、無限の奥行きをもった広大なわれらが宇宙をも意味し、同時にそれは、絵画が、自ら狭く二次元に限定して取り込み、昔から今まで、連綿と格闘し続けている厳しい相手だ。

 あるいは、「そら」に「こと」 がぶら下がれば、それは忽ち「そらごと=つくりごと・うそっぱち」つまり、虚構と呼ばれフィクションと称されるものになるが、これは、真実を現すために巧妙な目眩ましの術を駆使する「芸術」にとっての不可欠な属性である。

 要するに「そら」とは、このように無碍の相を持った面白いところなのだ。

 どうやら松田靜心は、その面白い「空」に惹かれているらしい。そしてそれに、真っ正直に、且つ、真っ正面から立ち向おうとしているらしい。まことに立派、真摯な態度であるというほかはない。思うに、真摯であればあるだけ、おそらく「空」は同じ真摯なその「色」を見せるだろう。温和しく立ち向おうとすれば温和しい色を、真面目に立ち向おうとすれば真面目な相を・・・・・・。けれどもその限りにおいて、空は――「空」であり且つ「色」でもある掴み所のない空――は容易にその真の正体を現してくれないかもしれない。つまり、空――無限の広がりと奥行きを秘めた本来の空――は、対し方次第でどんな相貌にでもなり得るような、とても一筋縄ではゆかぬ相手だ、ということである。

 そのためには、ただ温和しく立ち向おう、とするのではなく、すべからく、決然と強く立ち向わねばなるまい。困難は承知の上、血を流すほどの覚悟で、容赦なく相手と斬り結ばねばなるまい。

 そうすれば、松田靜心の空は、一段と見応えのある空間、手応えのある作品になるだろう。観る側としてはそう願いたい。心静かに観られる絵より、わたしは心の震えるような絵を観たいのである。むろんこれは、わたしだけの偏った願いかもしれない・・・・・けれど。

美術家 池田龍雄

松田靜心さんの作品に想うこと

私は色にうるさい男である。
幼い頃から「光と影」に興味を持ち、「かたち」のある陶器や彫刻が好きになった。
そんな人間にとって、絵画という平面の表現には、余程の事がないと興味を惹かれない。
ましてや日本人はくすんだ色を好んで使うため、明暗がハッキリしないことが多い。
そうなれば色彩による論理など期待できず、色は個性なく、語り掛けて来ないことが殆どである。

だが松田さんの色は美しい。
色の静謐を感じる。
静かに佇んだ色だが、静寂ではない。
凛とした色の気品と気迫には、爆発的なエネルギーが内包されたように感じる。
松田さんの色には、他者を邪魔して主張する愚かさなど微塵もなく、ただひたすら温かい波動で周囲の家具や人を包み込む。
桜島の火山灰なのか、松田靜心の特性か、その辺りを読み解くのは大変興味深い命題だ。
「灰に帰す」とは、「無に帰する」こと。
或は死を意味する。
無や死から、ここまで鮮やかな「色の生」が産み出されるとは、誰の想像をも超えた、まさに驚きの至芸である。

松田靜心の「黒」には黒楽と同じ宇宙がある。
黒楽とそこに練られた濃茶が生み出すコントラストは、観る者を深淵なる世界に引きずり込んでゆく。
そんな不思議な「ちから」を、私は松田靜心の色に感じるのだ。

指揮者 村中大祐

松田靜心と彼の描くもの

松田靜心さんと初めて会ったのはいつのことか。確かワインを飲みつつ歓談するという会だったと思う。上等のお酒の効果に加えて、松田さんが私の愛する鹿児島の出身ということも判明し、意気投合した。その後も幾度となく会っては楽しくお酒を飲み、何やら話し込むという付き合いが、今日まで続いている(話している内容はおそらくとても深遠なのだが、お酒の魔力のせいで全然覚えていないのが残念でならない)。
 最初、靜心というのは芸名というか、「号」だと思っていた。松田さんの穏やかな性格、話しぶり、それから彼の作品を見て最初に感じることと、あまりにマッチしていたからである。静かな心。しかし、それは本名だという。名前が人を作るのか、と思っていたら、元々は理工系だったということで、迂回した結果、名は体を − もとい、作品世界を表す、と相成ったようだ。

 松田靜心の作品世界を、どう形容するべきなのだろう。言葉の正しい意味での抽象画、だろうか。
 私たちは風景であれ静物であれ、この世に現に存在する物の連なりを見て美しいと感じる。そう感じた一瞬を筆の動きで平面に固定する試みが絵画ということになるのだが、実は感動の源泉は私たちが見ていた対象そのものではなしに、そこに潜む形態の対称、非対称、あるいは色彩や明暗の調和とグラデーションといった、数学的ともいえる秩序だ。ヨーロッパの絵画史における具象から抽象への推移は、その事実の発見過程に他ならない。
 松田さんが描くのは、私たちが目の前に現れた事物を見て美しいと感じた、その心の作用なのだ。穏やかな日の砂漠や広大な針葉樹林の宵闇を見て、人は胸を打たれる。同時に、人は心電図や壁に浮き出た染みに風景や人の顔を読み取り、そこにおかしみ、不気味さ、あるいは美を感じる。松田作品が具体的な何物をも描いていないのに、強烈な懐かしさを感じさせるのは、それが美を感じる私たちの心そのものをキャンバスに固定しているからなのだ。

作家・翻訳家
徳川家広

色彩とマチエールが生むもの

■松田靜心氏の回顧的な個展が、2014年、ギャラリースペースSTORE FRONT(東京)で開催されました。展示されていた作品はバラエティに富んでいて、およそ一人のアーティストによるものとは思えないほどでした。25年以上に及ぶ制作活動の中で、松田氏は何故これほどまでに作風を変化させてきたのか、その経緯についてお話を伺ってみました。

高石: 「アートに興味を持ったきっかけは何だったのですか?」

松田: 「子供の頃から絵を描くことと、モノを作ることが大好きで、生家の壁は落書きだらけでした。物心ついた頃には、将来は絵描きになりたいと思っていたのです。生きる苦悩や悲劇を経験しそれを乗り越えた上で、生まれてきた喜びや生きることの素晴らしさを表現できたら、なんて本気で考えていました。」


高石: 「現在のような制作活動はどういう経緯で始められたのでしょうか?」

松田: 「大学では一旦理系に進んだものの中退して上京、様々な仕事を転々とした後、日本の現代音楽やクラシック音楽を専門とするレコード会社に就職しました。制作進行や営業と共にレコードジャケットの外注窓口などを担当していて、ある時、絵のセンスをかわれ、専属デザイナーとしてデザイン全般をほぼ任されるようになりましたが、会社のデザイン制作だけでは満足できなくなり、30歳になったのを機に独立し、後にグラフィックデザインの会社を興しました。
でも結局は、自身の本質を表現したいという衝動には抗えず、本格的に絵画制作に打ち込むようになりました。」


高石: 「その頃は、静物や風景といった具象画と共に、抽象画も並行して描いていたそうですね。」

松田: 「1990年の初個展の際には、ギャラリースペースを2分割して、具象画も抽象画も両方一緒に発表しました。その時に抽象画に対する評価がより高かったことから方向性を確信したのです。その個展を機に抽象表現を探求することになりました。」

高石: 「1993年頃からは、油彩だけでなく、銅版画によるモノタイプの作品も制作なさっていますね。これらの作品には、『垣間みた違和感』や、『十三階の雨もり』といった詩的なタイトルを付けているところが興味深いのですが。」

松田: 「もともと詩にも強い関心があったのです。大学時代には同人誌を発行していましたから、絵と言葉の融合を試みて、現代詩から、シュルレアリスム的に無作為に引用したフレーズをタイトルにしていました。」

高石: 「1994年頃からは、さまざまなミクストメディアの作品を制作していますね。」

松田: 「不要になった家具やドア、パーティションや障子の枠などを拾い集めてそれらを支持体にして描く作品や、箸やしゃもじ、スプーンなどを絵筆の代わりにして描く作品を制作し始めました。キャンバスに油彩という従来の技法や画材にとらわれずに、絵画の本質、あるいは新たな価値観を探ってみたかったのだと思います。同時に、不要な物を別次元のモノとして甦らせたいとも思っていました。制作のプロセスも作業も創造的で楽しかったですね。」

高石: 「さらに、毛筆を用いたカリグラフィックな作品や、展示空間全体を意識したインスタレーション、ドリッピング技法などを展開していきましたね。1996年と1999年には、ライブの演奏中に絵を仕上げるライブペインティングを行ったのも、新しい表現の探求の一環なのでしょうか?」

松田: 「そうですね、その頃は描画方法と展示空間も強く意識していました。特に音楽の生演奏は、絵画制作とは違って演奏が終わると同時に消えてしまいます。その一瞬の中、儚さの中の美しさに人生そのものを見る思いがして、それを表現するためのライブペインティングでした。特に音楽(歌詞のないもの)は人間の本能に直接的に届くのだと思っています。また、音楽や現代詩の他、舞踏など、他のジャンルとのコラボレーションも多く行いました。自分の作品を、視覚だけではなく五感を総動員して多角的に感じてもらえたらと思っていましたから。」

高石: 「扇形のキャンバスに描いた作品も登場しますが、このスタイルが生まれたのはこの頃のライブペインティングがきっかけだったそうですね。」

松田: 「そうです。また、図形的なモチーフが現れてきたのもこの時期で、作品に目を留めた方からの依頼で、その頃グランドオープンを迎えた成田空港第1ターミナル内のレストランの壁画を制作しました。ちょうど1999年のことで、世紀の変わり目の作品となりました。が、2014年に閉店してしまい、その壁画はもう残っていないのが非常に残念です。
振り返れば、その後、2006年までの6年間は作品の発表をしませんでした。より深く自分を知りたいという思いが強くなり、本質を捉えようともがきながら、自分の内部から表現の意欲が湧きあがるのを待っていた時期だったのかもしれません。」

高石: 「そして、構想を温め続けた後2006年に発表された時には、キャンバスにシンプルな色面構成した作品でしたね。色の追求に焦点を絞ったと考えていいのでしょうか?」

松田: 「はい、色はとても重要な要素だと再認識しました。
ちょうどその時期、郷里の鹿児島に帰省する機会があり、旧知の陶芸家が釉薬に桜島の火山灰を使っているとの話を聞いた時、学生の頃、油絵具に大量の煙草の灰を混ぜて発色が良くなったことを思い出しました。また、桜島の火山灰を原料にしたクレンジングクリームが肌をツルツルにするという話も聞き、これは下地に使えるかもしれないとひらめきました。」

高石: 「通常は、下地にはジェッソを使うのですよね?」

松田: 「ええ。そうなんですが、私はジェッソを塗ってから描くと、色が沈んでしまう気がしていたのです。そんな矢先に聞いた話でした。実際に、火山灰を混ぜた黒い絵の具を下地にして、その上に重ねた色は、想像以上に自分にしっくりくる色になりました。明るい色はより明るく鮮やかに、渋い色はより渋く、それぞれの色の特性を生かしつつ、深みを増してくれる素材だと確信したのです。」

高石: 「最終的に全体を明るい色調に仕上げる場合でも、下地にその火山灰を混ぜた黒い絵の具を塗るのですか?」

松田: 「そうです。下地を真っ黒にしてから描き始めます。」

高石: 「発色の効果もさることながら、光の無い真っ黒な世界から描き始めることは、心理的にも重要なプロセスなのかもしれませんね。それと、生まれ故郷のアイデンティを取り入れているということも意識されているのでしょうか?」

松田: 「宇宙の始まりが暗黒で、そこに光が生まれ世界が照らされて全てが始まったとすれば、それと似たプロセスかもしれません。故郷のものでもありますし、地球内部の物質でもある桜島の火山灰を使うことは、地球そのものの生のエネルギーを画面に定着させているとも思っています。マテリアルとしても砂とは違う、マットでザラザラした独特のマチエール、テクスチャーが生まれるところに火山灰の魅力を感じています。」


■松田氏は、同時に日本人であることも強く意識し始め、胡粉や水干・箔等といった日本画の画材も取り入れ、新たなフェイズへ移っていきました。
紆余曲折を経て、様々に作品スタイルを展開してきた中で、特筆すべきは、こうした色彩の本質とマチエールの追求、更に言えば生命そのものに言及する取り組みとも言えるかもしれません。


■作品制作について松田氏はこう語っています。
松田:「作品を創り続けることが自分の生きている証ですし、自分自身の精神性と成長のためにも、作品を創らずにはいられない、なくてはならないものです。
生きるということは思考や環境の変化が伴うわけで、作品の変容は必然とも言えるわけです。
そして、もし地球上にたった一人でも私の作品が心に響いて、癒しや安らぎ、希望や推進力、何らかの形でその人の生活や人生に役立ってくれるならどれだけ喜ばしいことかと思いますし、それこそが私の追求する芸術本来の意味ではないかと思っています。」


■松田氏は、2015年から2017年にかけて新築を中心に10数棟の介護付有料老人ホームに作品を設置する依頼を受け、各ホームごとのコンセプトに合わせた作品を描いているそうです。抽象画だけでなく植物や果物などをモチーフにした絵画もかなり久しぶりに描いているという松田氏は次のように語っています。
松田:「このプロジェクトのおかげで様々な再認識と気づきがあって、これまで考え続けてきた絵画・芸術・アートの意味、存在意義が、思考の整理と共に、社会の中で実践しつつあるように感じています。作業はハードですが、とても有意義な経験をしていると実感しています。」


■2017年は銀座の『ギャラリー58』で10年連続10回目となる節目の年。どのような新しい展開を見せてくれるのでしょうか。
作風がいかに変容しようとも、そこには常に松田氏の色彩とマチエールによる、独創的でより深化した独自の表現が広がっていることでしょう。


インタビュー・構成
アート・ライター 高石由美

Yellow Impulseのこと

イエローというと、なぜか最初に キ(気=黄)印という言葉が浮かんでくる。
気がふれている、気が違っている、と言う意味で使われていて、明るさやポジティヴさとは程遠い。
一説では、ゴッホの黄色のイメージと本人の壮絶な最期、生涯が重なったことがその一因らしい・・・。

 一方、太陽や菜の花、ひまわりと言ったカラーイメージはポジティブだ。
光を色で表す時(特に昼間光)はイエローで描く場合が多いし、ゴールド(黄金)を表す色彩も世界的にイエローだ。

とは言え、今回の作品テーマがなぜイエローかと言うと、色彩をテーマに続けてきた中で、唯一主役では登場させていなかったからだ。
助演ではいつもいい役を演じてくれていたのだが、中々主役にする場がなかったのだ。

 意図通りイエローだけの作品で会場の壁面を埋め尽くせたら。
内面的にはどこか衝動性を孕んでいて、ちょっと見たことない今までに感じたことのない空間にならないだろうか。それに、ちょっと衝撃的かもしれない。

 “Impulse”インパルスは、衝撃、衝動の他、神経繊維の中を伝わる活動電位。神経衝撃。落雷の際の衝撃電流、などの意味を持っている。
航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「Blur Impulse ブルーインパルス」は、先の東京オリンピックの開会式で東京の空に五輪マークを描いて、世界の度肝を抜いた。アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」では謎の飛行チーム「Red Impulse レッドインパルス」が突如現れ、危機に瀕したガッチャマンを救ったりする。いずれも、色のイメージも合せ持って衝撃的なのだ。


 単独の色彩としてのイエローには強い印象はほとんどない。どちらかと言えば控え気味なのだが、エネルギーと強さを秘めて、かつ、しなやかさや暖かさを併せ持っている。そして実は、メタファーとしての心の幸せと安泰とも言える、そのイエローによる衝撃、あるいは衝動。

 とまあ、ここまでは作者本人の意図。だが、結局のところどんなイマジネーションを持っていただけるのか、或はそうではないのか。作品にタイトルをつけないのも、見る方に無意識の制約を持たせないためなのだから、作品の是非の行方は見ていただいた方に委ねるのが常套か。


 アート フォー ソートでの初展示ということもあり、イエローの作品の他に、25年以上携わっている書籍・CD等のカバーイラストとデザイン担当作品の一部と、立体作品も今回初出展した。

 立体作品は装幀用のCGイラストとして制作していた2D作品のイメージを3D化したもの。ゴールドに彩色した理由は、今回のテーマであるイエローに則したからだ。それに、立体作品までイエローにしたらちょっとつまらないではないか・・・。


 如何にしろ、自由にイマジネーションを広げていただければ最良なのだが。

2017.2.20
松 田 靜 心

Water Skyのこと

「水色は涙色、そんな便箋に・・・」そんな歌詞で始まる昭和の歌謡曲があった。
あべ静江がセリフの後に歌う『みずいろの手紙』の冒頭のフレーズ。会えなくなった彼に送る寂しい想いを綴る歌だ。

ニューミュージックバンドのチューリップは自曲の『ブルー・スカイ』で
「おぉ、ブルースカイ、この空の明るさよ、なぜ僕のこの悲しみ映してはくれない・・・」と歌う。

当時のアイドル西城秀樹も『ブルースカイ ブルー』で、
「ふり向けばあの時の目にしみる空の青さを思う、悲しみの旅立ちに・・・青空よ」と。
恋しさとやぶれた恋の夢、悲しみや寂しさを感傷的に歌っていた。

近年では、伝説のロックバンドTHE BLUE HEARTSは
「・・・神様にワイロを贈り、天国へのパスポートをねだるなんて・・・眩しいほど青い空の真下で・・・」と『青空』の中で歌う。
初めて映像で見た1945.8.6、広島の空も澄み渡る青空だった。。。


 直接的に色の名前を上げずとも色をイメージできる言葉を探してみると、如何に自然界を象徴的に表していることか。
それもそのはずだ、人間もその自然界、地球の一部なのだから。

2月の個展のテーマ、イエローに続く4月のテーマがなかなか決まらなかった。
3月に入り、ふと湧いてきた水色、或いは空色。
今回は、直接的な色の名前を使わずにテーマを表すことにしてみた。

水色と空色、余りにも直截すぎるのだが、水と空を英語にしてみると「Water Sky」ではないか。
水と空、本来どちらも薄い(ライト)ブルー系の色彩をイメージさせる。
イエローが光、太陽、向日葵、菜の花を表すなら、水色は水を、空色は空気を表す色。
太陽(光)に水と空気。どれも人間はもちろん、地球上のありとあらゆる生命を育むために不可欠なものではないか。

 もちろん後付けなのだが、春真っ只中の4月であればこそか、フランス語で雲を言うニュアージュでの初個展には、ぴったりかもしれない。

 余談だが、「Water Sky」と言う自然現象がある。この日本はもちろん、その自然現象を目のあたりにできるのは世界でも稀有なことらしい。氷に閉ざされた北極で、一部分割れた氷の海が黒く空に写る現象らしい。これによって、極北の地に暮らすエスキモーなどは、氷の裂け目の存在を覚知しているという。
当然のことながらこの現象を目撃したことはない。実際はほぼ白黒のモノトーンに近いとのことなのだ。それでもイメージするのは、やはり水の色と空の色、そして互いの色の交わりなのだ。

 イエロー同様、単独の色彩としてのスカイブルーもウォーターブルーも強い印象はほとんどない、それどころか印象は極めて薄い。近くにあって当然すぎる、普段は気に止めることさえないかもしれない。だが、ひとたび不測の事態が起きようものなら、地球上の生きとし生けるものに存続の危機、絶滅の危機が訪れる。

 生命の源であり、安らぎと危険を同時に孕んだ、見た目の柔らかな優しい印象の奥には、まったく逆の面を持つ、かなり個性的な色彩と言えるかもしれないのだ。

 とまあ、作者本人の意図はこれくらいにして、作品の是非の行方は周知の如く見ていただいた方に委ねることにしよう。
 如何にしろ、今回も自由にイマジネーションを広げていただければ嬉しいのだ。

2017.4.2
松田靜心

「GOLD RUSH ゴールド・ラッシュ」 のこと

「GOLD RUSH」というと、世代的に矢沢永吉氏のアルバムを思い出される方も多いだろうと思う。
だが、この「GOLD RUSH」は19世紀中盤に米国カルフォルニアで金鉱が発見されて起きた史事からインスパイアされたものだ。
かの、チャールズ・チャップリンの映画「黄金狂時代」もこの時の事をユーモアたっぷりに描いたものだ。
 様々な人々が貧困生活から抜け出すため、一旗あげる夢を見た。一攫千金を狙ってカリフォルニアへ殺到するのだがそう簡単に金は手に入らない。
金を掘り当てるまではと、食べ物さえままならない。ひもじい生活を送る。
映画「黄金狂時代」の中では、あまりの空腹のため自分の革靴まで煮て食べて飢えをしのぐのだ。そこまで人を狂わす、儚くも無限の夢を見させるとも言える金。
資本主義の現代でも金本位制に戻す方が良いのではないかという専門家もいる。
自身の権威と富と威光を示すため黄金の茶室を作らせた豊富秀吉は、黄金色に支配されたと言って良いかも知れぬ。
 そう言えば、日本は黄金の国ジパングと呼ばれていた頃があったし、時代は異なっても古代ギリシャやイスラム、インド、中国、ヨーロッパと世界中で錬金術を本気で信じていた時代があったではないか。錬金術は黒(常温の物質)→赤(加熱された物質)→黄(金・貴金属)と三段階の色調で表していた。この黄は即ち黄金のことで、物質の温度の上昇を色で表現したもの。最上位に黄(金)が来るのだ。

 火山灰を混ぜた黒の絵具で下地を作った紙に、シコシコと箔を貼りながら、金のことを考えていると色々なことがふと脳裏を横切るのではあるが、実際にその輝きは美しい、ただただ美しい。人を狂わせる程に普遍的な、恒久的な価値を本能的に感じさせる色彩なのだろう。

 さてさて、作者本人の雑談はこれくらいにして、作品の是非の行方は周知の如く見ていただいた方に委ねることにしようか。

2017.5.11
松 田 靜 心